夢が羽ばたく藤岡工場







キッチンハウスの工場の敷地に、新たに隈研吾氏のディテールのギャラリーが

誕生しようとしています!



‘負ける建築’をテーマに、暴力的なコンクリートのみを使う建築に反して

自然に馴染む素材をテーマに色々な試みが世界で繰り広げられている隈ワールド

そのディテールをキッチンハウス藤岡工場のロフトにギャラリーとして

保存する企画が具体的に始まりました。



隈研吾さんの東京大学の先輩ー弊社 田島庸助社長もこのプロジェクトに

大工道具で、鍛えた開発力と緻密な製造能力を誇るタジマブランドで

建築の欲しかったけれど今まで具現化しなかった物の開発に取り組んでいます

名称ーTAJIMA ARCHITECTURAL DEVICE-’TAD’








敷地を歩く隈研吾氏


藤岡工場の近くには、広重美術館を始めとする隈研吾氏の美術館が3つあり、


最近富岡製紙工場と、富岡市の市庁舎を新たに建築設計される事になった様子です。




中国北京の再開発のように、六本木ミッドタウンが6個も入ってしまう


大きなプロジェクトにも、外壁、内部パーツの至る所に新しい素材を使いこなし


他の建築家の追従を許さないディテールがありましたが、


ここ藤岡工場の美術館では、その隈研吾氏のトライを実際見て頂けるスペースになります。











静岡県浜松市の丸八不動産の平野会長、社長親子、其の建築担当者達が


TAJIMAの新たな試みのオリジナルキッチンを集合住宅に採用して下さる事になり


藤岡工場に製品チェックにこられました。




丸八不動産の平野会長は大変な美術愛好家で、自身も祖父の代から続く平野美術館


を運営されていて、美しい物が大好きな方です、15年くらい前,以前の私の会社で


三井不動産の青山タワーにイタリアの建築家ーアントニオ チッテリオ氏の


デザインのモデルルームを作って,其のご縁で御知り合いになり、その後色々な物件に


採用されました、製品チェックはとても厳しく、目が肥えておられるので


御案内する方はちょっと緊張気味です。












日本で一社,世界でも数を数得る程の’インジェクション’の設備


キッチンの箱の製作をする折りに、部材を斜め45度にカットして


トメで纏めて特殊な機械が取り付けする装置です。



部材をダボで繋ぐのとは大変違った,一歩進んだ方法で,この特殊な接続方法が


キッチンハウスのキッチンはしっかりしている、他社とは違う!


トいった印象を与える秘訣です。











2005年のマージ以降、一個造りの工場に生まれ変わった藤岡工場、


8年目にまた新たな姿を展開しようとしています。



完璧に掃除された、各所に心使いの感じられる藤岡工場に


厳しい目をお持ちの丸八不動産平野会長も,採用のゴーサインを出して頂けました。



之からの飛躍はこの藤岡工場から始まります、


期待を一心に!


羽ばたくTADをここでまたご紹介させて頂きます!






アルキメデスを生んだ'シラクーザ’






ミラノサローネの家具展が終わり、インテル二誌のジルダ ボヤルディー女史が


シチリアのシラクーザからそれほど遠くないノートに別荘を造ったので来たら?


とのお誘いで、シチリア島の南東に位置するシラクーザを訪問する事にしました。






1693年の大地震以降建設されたバロックの大聖堂、教会が建ち並び


美しかった昔を偲んでいるかの様子です。










ギリシャ時代、首都であったアテネに並ぶ大きな街として栄えた’シラクーザ’



アルキメデスが天才数学者として育つのですが、日本では太宰治の


’走れメロス’の小説の舞台と成った所のようです。



流石,アテネと並ぶ位栄えた歴史が物語るように、ギリシャ、ローマ時代の


遺跡が、オルティージャア島には沢山残っています。













紀元前5〜6世紀に建てられたギリシャ神殿の跡地



時が止まったかのように静かに何世紀も人の営みを見続けているようです。




この遺跡の廻りでは1990年以降急激に復興を急いだ形跡が色々な所に有り、


特に清潔になった生鮮市場や、露天商が路地にかけ声も勢い良く


活気に溢れています!




太陽を一杯浴びた色鮮やかな野菜達、いなせな猟師さんが収穫した新鮮魚介類が並び、


街の人も観光客も一緒になって買い物を楽しんでいます。








オルティージャ島の橋を渡って直ぐのパンカリ広場にある,アポロ神殿



紀元前6世紀末に立てられた周柱式ドーリア式神殿で、シチリアを含む


ギリシャ神殿世界で最も古い石造りの神殿!



この神殿はビザンチン時代に教会、アラブ時代にはモスク、ノルマン時代に再び教会、



16世紀にスペインに侵略された時には兵舎に改築された歴史が有り、



1693年の大地震後崩壊して地下に埋もれていましたが1860年に


発掘されたそうです。













オルティージャ島から2キロ程行った所に新市街があり、


ネアポリス考古学公園があり、ギリシャ、ローマ時代の遺跡があります。




シチリアの観光のメッカータオルミナに匹敵する素晴らしい劇場跡地



5,6月には色々な音楽、演劇、オペラが催されているそうです。。。。。。。。




いにしえの歴史を刻んだ劇場には色々な運命、劇があったのでしょう


ロマンを感じながら一つ一つの石を眺めていました。
















パリ6区ールクセンブルグ宮殿







パリ6区のルクセンブルグ公園、早春の花々が咲き誇ってパリ市民がとても


楽しそうです、公園内には小さなラバがいて子供達は順番を待って乗馬の訓練。




ウィッキーペディアに寄ると、サロモン ブロス氏の設計で、


ピネールクセンブルグ公の邸宅を、ルイ13世の母ーマリードメディシスの居城として


改装された物で、イタリアから嫁いだマリーメディシスの為に、故郷フィレンツエの


メディチ家のビッティ宮殿にあった池を真似た彫像とポンドがあります。













皆各々の楽しみ方が有り、恋人達はこの池の廻りのベンチに時間を忘れたように


佇んでいます、、、、、、




公園自身は,22万4500平米とパリの中では一番大きな公園として、


フランス革命を経て、ナポレオン ボナパルトの歴史的舞台と成った後は


宮殿がフランス元老院議事堂として活躍している他、


色々な美術のイベントも企画されています。










ファッションもレストランもインテリアのショールームもここに集まる


サンジェルマン ド プレから歩いて15分位の所に位置する公園



高級住宅街の中でとても広々とした公園です。












テニスコートがあり、ランニングも出来るのでパリの市民のとても大切な場所に


なっているそうで、観光客もパリ市民も一緒にリラックスしています。




1月にメゾンドオブジェの展示会を訪れた時には一緒に行った日本女性の


3組が地下鉄でアフリカ人の子供達からスリに遭いました、パスポート等も


取られて警察や大使館に行って半日を費やしましたが、皆其のストレスを抱えながらも


警察から出て来たときの言葉は’パリは危険だけど,それを上回る程美しいね!’


という言葉でした。。。。。。。











ユーロ問題、失業者の増加、経済不況等々、,,,,,多くの問題を抱えるヨーロッパ


それでも石の建築達は歴史を多く語りながら今も人々に安らぎと勇気を与えてくれます。




公園が持つ素晴らしい魅力の一つはみんなの為の物である事!


エンジョイさせて頂きます。感謝!










インテル二誌ジルダボヤルディー編集長の別荘







イタリアを代表するインテリア雑誌ーインテル二誌の編集長ージルダ ボヤルディ女史



イタリアサローネをドイツ国際見本市に追い付け追い越せの頃から

フォーリサローネーサローネ会場以外でのデザイン活動の重要性を説いて

今やミラノの名誉市民の表彰も受け、ミラノ市への貢献度は大変なものです。



フォーリサローネをミラノに留めず、ロシアのモスクワで

アメリカのニューヨークで、中国の北京にも発展させて、

世界的なデザイン活動を率先しているジルダ女史



いつも緊張しているイメージですが、招待してくれた別荘では別な表情です。









シチリアの南西部のシラクーザから車で一時間位のところにある‘ノート’


ギリシャ時代、ローマ時代を経て遺跡が残り大変エキゾティックな所です。



多忙を極めるジルダ女史は他のイタリア人にも似て,オフ時間の使い方が上手です。


遊びに伺うのに住所を聞いたら、正確な住所が無いので、目立つ所に迎えに行く!


電話の声がミラノにいる時とは人が違ったようです。。。。。。。










辿り着いてみるとそれも納得!古いオリーブ園に包まれた野生の鳥の声が


騒がしく聞こえる程にリラックスした所です。



プーリアと同じく、シチリア島も大きな民家をマッセリアと呼んで


古い物を大切に改造してインテリアを纏めていました。



イタリアインテリア業界のドンの家,それにしてはモダン一点張りではなく


シンプルな家具とカラフルな色使いで、全く緊張させないインテリア


楽しく,わくわくして来るような色使いに,とても勉強になります。










夕陽が落ちるのがとても遅くなって来た4月では食前酒はいつもお庭で!




近くの農家で仕入れた野菜のディップと野いちご、それに少し様子の違った


モッツアレラチーズをおつまみに,スパークリングワインで乾杯!



セッティングは全てご主人の仕事,女性軍はキッチンで凝ったお料理に夢中


時間が無限に有ると思う位リラックスします。。。。。












ジルダボヤルディー女史の良い所は’とことん、勉強家!’


称したのは、大建築家アンドレア ブランジ氏ですが、


ボヤルディー女史は建築やインテリアとは別に関係のない出版界の人だったそうですが


一旦,インテル二誌に勤め始めたら時間の許す限り、エットレソットサス氏、


色々な建築家にヒヤリングに現れたそうです。




其の食いつき方に大先生達も圧巻、いろいろなこうしたら?この方法も有るよ!


とのアドバイスにとても熱心にトライを繰り返し、今や世界一のデザイン界をミラノに


構築した女性編集長!



今日は,とてもお茶目なジルダ女史の素顔から。。。。。。。







坂茂氏のパリのコンペ







坂茂氏がパリ西側、元ルノー工場跡地再開発プロジェクトコンペに優勝!



4月初めに弊社の田島庸助社長と和歌子奥様と坂茂氏のパリ事務所に伺った時は、

最終決定を待っている段階で坂茂氏もいささか緊張気味で2種類のプレゼンを

丁寧に説明してくれました。



世界中から5名の指名コンペだったらしく、最終決定まで2度

延期が続き、政治的な圧力を心配されている坂茂氏でした。



でも,1週間前に私の携帯にSMSが入りました。








今回はポンピドーセンターの元チーフキュリエイターのマリーローさんが


ルノーの工場跡地コンペに事情に詳しく,敷地を案内してくれました。



パリの中心部から20分くらいの所に、セーヌ川が二手に分かれているところがあります、


其の中州に、’イル サン ジェルマン’という美しい島があり、

其の先に長い中州が続いていてその場所がルノーの元工場だったそうです。









上の写真は今日この場所に連れて行ってくれたマリーロー女史の御宅に


田島社長ご夫妻と伺った時の写真です。



サンジェルマン大通りに面した素敵なアパルトマンの最上階



元々この建物をご家族の方がお持ちで、今は他の部分は貸していらっしゃる様子です。



彼女の趣味の良いお部屋を見せて頂き、いつも好んで呑んでおられる日本茶を頂きました。



リビングルームは最近亡くなったミシェル ボイヤー氏のデザインで、


彼は日本でもファッションデザイナーの邸宅をデザインしていました。



長い廊下にはエットレソットサスのデザインした本棚があり、


私は20年位前,エットレの80歳の誕生日にマリーローに出会いました。












ルノーの工場跡地に戻りますが、工場が他の場所に移って既に10年の歳月が過ぎて


いるようですが、地元の希望は公園にすることで、市としては


中心からほど近いこの場所を文化的なイベントホールにして沢山の人達を


集客したい様子です。












このコンペが決まる前坂茂氏のパリのオフィースを訪問した後、


一緒にパリで一番美味しいという魚のレストランに行きました。




益々活躍を続ける坂茂氏、田島庸助社長も聞き入っておられました。。。。。。









アイリン グレイの展覧会







家具展にまつわる素晴らしい’アイリーン グレイ’の展示会がパリの


ポンピドーセンターで開催されていました。



モダン家具を憧れる人は皆知っているアイリン グレーのコーヒーテーブルですが、


私はコルビジェの事務所の家具担当のデザイナーとして有名になったのだと


思い込んでいたのですが、この展覧会では,彼女の別の素顔がありました。












1879年にアイルランドで生まれたアイリングレイは,ロンドンのアートスクールを



卒業後ロンドンのSOHO地区の漆工房で漆の職人に成る訓練を受けた事が


彼女の生涯の仕事と成る工業デザインとインテリアデザインへの糸口だったそうです、


又そのころパリで工房を持っていた日本人の漆のマエストロー’セイゾースガワラ’


色々な漆の技術を学び、アイリン グレイの漆の作品が沢山展示されていました。










1920年代を代表するモダン家具のルーツは日本の漆職人の技術だったのです。




ふと、ドイツのキッチンメーカー‘ブルトハープ’の会社のデザイン指針の中に


ブルトハープの大切にしているデザインの基本は,300年前に完成した


桂離宮のミニマリズムだという文章を思い出しました。




そう言えばもう一人,コルビジェのデザインを助けた女性デザイナー


アンドレプットマン女史も、日本で坂倉準三氏に師事して日本に来日


予定を延長して日本に長く滞在して,柳宗里氏や日本の工業デザイナーに


和の文化を学んだ事を読んだ事がありました。












コルビジェがアイリングレイのカップマルタンの海の別荘を借りた時に、


アイリングレイに内緒で,大きな絵を描いた事実に着いては,とても短く


説明されていました。 そして如何にコルビジェがアイリングレイのインテリアの


モジュールに感激したかをスライドで説明していました。



其のスライドは、コルビジェがこのアイリングレイの別荘をビデオカメラで


撮影したもので、コルビジェが撮影してと描いてありました。。。。。。



その後、無断で絵を描いた事を怒ったアイリングレイとコルビジェは絶縁し、


其の別荘は荒廃化するのですが、最近になって修復されたというニュースを聞きました。




この模型は其の別荘ではなく、彼女が最後に建てた自分の為の海の別荘です。












インテリアの細々した家具達を洗練されたモダニズムで収めています。



美しい物を見ると心が洗われます。。。。。