BLOGブログ

2011.01.09 Sunday

コルビジェのフェルミ二の教会


 
 
 
前回でコルビジェの自邸のキッチンの話をさせて頂いたので、
 
 
未だお正月気分の抜けないうちにコルビジェが死去されて40年近く経って建設された教会
 
 
フランスのリヨンから1時間くらいのフェルミニの教会
 
 
死去された後、いろんな人の働きで建設に取りかかれる事になるのですが、、、、、
 
 
図面では解読出来なかったコルビジェの本当に大切にした精神性の現れが発見できます!
 
 
 

 
 
 
外からは何の為の塔で、何故色が内側に塗ってあるのか?
 
 
 
それも一つの方向からではなく、四方から塔が見えます、、、、、
 
 
 
そうして全ての塔が違う色に塗り揉められて、、、、、、、
 
 
 
コルビジェのこのフェルミニの教会の建設に生涯の夢と全てを捧げた人の事を読みました。
 
 
 
その方は、コルビジェが奥様といつも過ごされた南フランスのカップマルタンの
 
 
 
有名なコルビジェの夏の休暇小屋の隣のビストロ’ひとで軒’の息子-ロベルト レビュタートさん
 
 
 
彼は小さい時からコルビジェと海に入り、ひとで軒では、紙のテーブルクロスの上に
 
 
 
スケッチされたコルビジェの図面を見て、将来は建築家に成ろうと決心したそうです。
 
 
 
そうして建築家に成った彼は、自分の全財産をフランス政府に寄付にして、
 
 
 
カップマルタンにあるコルビジェの休暇小屋ーキャバノン、アトリエ、アイリングレーの
 
別荘ーE1027,ユニテキャンピング等々の復旧に生涯を掛けて行きます。。。。。
 
 
 

 
 
 
コルビジェの謎の出来事!
 
 
 
自分の事務所に働いていたアイリングレーの夏の別荘E,1027に、奥様と滞在している時に、
 
 
 
その家の持ち主のアイリングレーには内緒で、フレスコ画を書いてしまって、、、、
 
 
 
アイリングレーとは絶交してしてしまうのもカップマルタン!
 
 
 
水泳の最中に溺れて死去してしまったのもこのカップマルタンです。
 
 
 
そこに、ビストロを構えていたひとで軒のオーナーの息子はきっと色々なエピソードを聞かされたのでしょう。。。。。。。
 
 
その長い時間の蓄積が、このフェルミ二教会の建設に大きく動いていくのです。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
先程の、塔の謎は之で解けたでしょう、、、、、、、
 
 
 
最初は、いくつもの光がコンクリートの壁から入って来ます、、、、、
 
 
 
そうして目がようやく慣れた頃にはそれは光の動きと成って入って来ます。
 
 
 
まるで神の御光のようです。チェンバロの音さえ聞こえてきそうです。
 
 
 
私は宗教を持ちませんが、この光を見た時は、鳥肌が立つ程感激しました。
 
 
 

 
 
 
この光が入って来て動き始めて、気がついた事ですが、この教会には祭壇がありません、
 
 
 
特別な具現化された祭壇よりも、太陽の光が神の御光を感じさせてくれます、、、、
 
 
 
敬虔なキリスト教徒でなくても、この光は感動します。
 
 
 
神聖なものに触れたようです。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
かなり多くの人達が見学に来ていたのですが、皆言葉を失った様子です。
 
 
 
静寂が広がります。
 
 
 
時間にして20分くらいの光のドラマは訪れた人達をとても幸せな気分にしてくれます。
 
 
 

 
 
 
 
アメリカへ渡航される船の中で、将来のフェルミニの街の市長さん(クロディウス、プチ)に成る方と出会い、コルビジェは彼の持論―モデュロールに着いて熱弁―意気投合するのです。
 
 
1953年、クロディウス プチがフェルミ二の市長に就任するや、‘フェルミ二 ベール’
(緑のフェルミ二)計画に着手、コルビジェに声がかかったそうです。
 
 
‘古代ギリシャのように、住居とともに、スポーツ、文化、宗教が集合する街の要’
 
 
でも、コルビジェの晩年の計画だった為、文化と青少年の家だけ生前に完成します。
 
 
 
そのあと、この教会が建てられる前に市長さんは辞任され、教会も建設費の高さの為に実現せず
 
 
 
教会の塔を何度も低くして設計変更しているうちに、コルビジェも亡くなり、、、、、、、
 
 
 
忘れ去られそうに成っていた教会!!
 
 
 
その復活は2001年の工事の権利を所有していた信者を母体とする団体と、
 
 
 
根強いコルビジェファン達の奔走で、2006年に完成します。
 
 
そこには、本当はコルビジェが一番伝えたかった、‘人の為の建築、それはアカデミックな建築論
 
に掟に縛られるのでも、綺麗な線を描く事でもない、人間に一番大切な、光、色、匂い ーそうし
 
たものを大切にした建物!それが考えられていたのかも知れません、、、、、、
 
 
 
 

 
 
 
フェルミニの市長が健在の時に完成した青年館は、そのまま保存されています。
 
 
 
廊下も入り口も図書館の扉も動き易いようにコルビジェらしいデザインで。
 
 
 
マルセーユのユニテアビタションの集合住宅にも駆使されていた'モデュロール論’
 
寸法の概念が生きています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
朝は自邸で絵を描いていたと伝えられるコルビジェの絵や彫刻を建物の中にも外にも見る事が出来ます。
 
 
 
 
韓国の金重業さんが生きておられたら、’コルさんはね~朝は絵をかいておられてね~、午後から
 
スタディオに毎日現れてね~~~~とうっとりした表情でコルビジェの幾つもの思い出話をされる
 
事でしょう!