2013.08.15 Thursday
ミースファンデルローエの個人邸ー東ベルリン
1933年ベルリンに完成したミース ファンデル ローエ氏の手がけた個人邸
ナチスの台頭が著しかった頃、グロピウスが指名したバウハウスの校長の席
バウハウスの閉鎖と共に、アメリカ シカゴに亡命する年に完成しています。
激動の年に完成しているのに、何と言う静けさでしょう、
物質的な豊かさを超えた精神的な安らぎを感じる空間です。
'Less is More'
30年くらい前、シカゴのイリノイ工科大学でのキャンバスの建築
真っ黒い印象的なホール、ニューヨークのシーグラムビルを見学して
ニューヨーク近大美術館で、ミースの大きなドローイングのコピーを購入しました、
でもその時の世界3大建築家のイメージとはかけ離れた安らぎ、精神性を感じる建物
小さな池に向って大きく開口されている限りなく自然さを失わない庭
大きな柳の葉が池の水にしたっています。。。。。。。
水鳥が静かに浮かぶ景色に東ベルリンにいる事を忘れてしまいそうです
でも友人が其の夢を砕いてくれました、この辺りは高級住宅化して
東西が分裂している頃には、多くのシュタージ(東ベルリンの秘密警察
諜報部員)が特権を自由に住宅として使用していたとか。。。。。
ミースはドイツアーヘンに,墓石や暖炉を扱う石工の父のもと、正式な大学で建築を学んだ
分けではなく、地元の職業訓練学校で製図エの教育を受け,リスクドルフの建築
調査部で漆喰装飾デザイナーとして仕事を始め、最初はドラフトマンとして設計事務所に
努めて、1913年アダ ブルーンとの結婚、アダの紹介でベルリン近郊の富裕層の
住宅を手がけていったそうです。
現在はミース ファンデルローエ財団により管理されて、現代絵画のギャラリーとして
展示されている大きな絵は販売して、其の資金も財団の基金になっているとか、、、、
中々ベルリン市内の威厳と力を誇る建築物を見学出来ませんが
脈々と流れる政治的な動きと反乱、
そして静かに耐えて物の本質を探ろうとするドイツ人気質
気骨に満ちた仕事に触れてとても豊かな幸福感にしたっています。。。。。。