2014.08.19 Tuesday
軍艦島上陸
今年のお盆休みはクリストフご夫妻と長崎県に参りました、
小浜計画を遂行されている城谷耕生さんの勧めで、小浜の小さな宿に宿泊
連日あいにくのお天気でしたが、今日だけ晴れたので長崎市の見学と
軍艦島へのツアーに参加しました。当初長崎県と言い出した時に、クリストフからも
端島に行ければとの要望が有り実現しました。
軍艦島が近づくにつれ、頭を過ったのがイタリアの踵のプリーア近辺の’マッテッラ’
理由は全く違いますが廃墟という点で共通していて、そして今は観光にフィーバーしている点。
産業革命、エネルギー革命の国策に翻弄された軍艦島、漂う哀愁はとても同じ感じがします。
40年前に最後の住人が船で長崎に戻ってから全く振り向かれなかった島
先日伺った犬島もやはりベネッセのお陰で現代美術での再生で、観光に蘇った銅山
今や年間、軍艦島に17万人の人が訪れるという。
解説する人の話は、人口密度が東京の7倍に及ぶ高さで、炭坑で働く人達の生活レベルが
当時の日本人の平均よりも遥かに高かった事が強調されていました、例えば
50年前の日本に於いてテレビは各家庭に100%置かれていた、冷房、冷蔵庫等の
電気製品の普及率も大変高かった!
解説者の説明はどこかで政府が介入して歪められていなかったら、
それは第2次大戦後、日本人が大きな間違いを犯したー’物質的に人を幸せにする’
亡くなって20年を迎える姉との会話を思い出します、上から二番目の姉は
教育者で、突然癌が発覚して7年闘病生活を続けました、その間病院で色々な話をしましたが
物質的な幸せと、精神的な幸せの話も幾度もしましたが、姉は私が戦後戦災で、
何も無くなり、食べ物すら無くなった事を知らない世代には、わからないが
姉達、父母達の世代のがんばりが今の日本を作ったので,それを批判するのは簡単だけど
何もなくなった経験が無ければ、わからない!と頑固に話していました。
いずれにしても、軍艦島を去る時には、この地で起こった色々な事件、
大海の小さな島で、台風やシケのおり、どんなに不安だったか?
石炭を掘るのに、最高1200メートルは地下に潜る訳なので、’安全’
に対する意識は特別な物だったと想像がつきます。。。。。。。
色々な感情が浮かんで涙が出てしまいました。。。。。。。。
色々な方々の努力や励みにより,今の日本がある事に感謝します!