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2015.02.26 Thursday

エットレ ソットサスの精神を継ぐクリエイター達


 
 
 
 
 
 
アルド チビッチ氏ーソットサス アソシエイツの初期のメンバーです。
 
 
 
オリベッティーのアートディレクターをするなど、デザイン界では
 
 
名前が知られていたエットレ ソットサス氏ですが、やはりソットサスアソシエイツ
 
 
若い(ほとんどが20代半ばの建築家の卵たちーミケーレ デ ルッキ氏、
 
 
マルコ ザニーニ氏、この写真のアルド チビッチ氏)と一緒に立ち上げ
 
 
1980年代にフィーバーした’メンフィス’の活動!
 
 
20代だった私も、倉俣史郎氏と美しい美江子奥様とオープニングに参加したのを
 
 
昨日のように思い出します。ミラノのデザイン界のパーティがディスコのような
 
 
熱気と人だかり! メンフィスの活動はエットレが停止するまで10近く続きます。
 
 
 
 
アルド チビッチ氏はビツエンツア生まれなので、カルロ スカルパの子息
 
 
トビオ スカルパ氏とベネツイア大学で建築を教えながら、ミラノで設計事務所を
 
 
営み、今年のビエンナーレでは事務局より一つのパビリオンの設計を依頼されていて
 
 
いつも大きすぎるスケールの夢と、大きな人に対する愛情に溢れた建築家です。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
ジョアンナ グラウンダー女史、丁度私の小さな家の設計をした頃、エットレの
 
 
パートナーでした。。。。。。。今は独立してカリフォルニアに在住、色々な会社の
 
 
プロダクト デザイナーとして活躍しています。毎年サローネでは刺激的な作品を発表
 
 
ミラノのアパートを残しているのでジョアンナがミラノに戻るといつも彼女の手料理
 
 
 
エットレはアメリカに対して、何かとても複雑な感情を持っていたので、お酒が入ると
 
 
アメリカ攻撃が始まります、、、、、、ジョアンナはいつも槍玉に挙げられて、
 
 
デザインのエッセンスもわからないアメリカ人!と罵られていました、、、、、、
 
 
でも集まった皆はジョアンナに対する深い愛情をエットレの暴言に感じていたので
 
 
とても静かにまるでお坊さんのお経を聴いているかのように無表情でした。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
30年以上前、ソットサスの事務所があったボルゴヌーボ通りのメインの事務所の
 
 
 
向かえに別室があり、ベッペとジョバンネーラサンが働いていました、それから
 
 
 
何年かして彼らが結婚したことを伺いました、いつも食事に招待してくれる
 
 
 
グラフィックデザイナーのアンナ ワーグナーさんの自宅-ソルフェリーノ通り
 
 
 
(以前は住宅街だったのですが、今はキッチンのボッフィーが大きなショールーム
 
 
ダダ、モルティーニが出来て、大理石、インテリア小物のショールーム街になっています)
 
 
 
ベッペ、ジョバンネーラも近くに住んでいるので良く夕食でお目にかかります、
 
 
べっぺはトスカーナに大きな邸宅を持っていていつも週末自然と過ごしています、
 
 
二人の作品にもゆったりと自然を愛して、無理の無い暮らし方が忍ばれる作品が多いです、
 
 
一度、彼らの設計したクリニックに伺いましたが、出来る限り白に近いピンクと
 
 
視力テストのような薄い緑と黄色をインテリアの軸にしていて、取り立ててデザインした
 
 
ようには感じないのですが、静かな暖かさに包まれる不思議な空間でした。。。。。
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
このブログには再度出場するクリストフ ラドル氏ーソットサス事務所のグラフィック
 
 
 
デザイナーでした、アレッシー社のコーポレイト アイデンティティーを担当して
 
 
ソットサス事務所を辞めたら、アレッシー氏が直接、クリストフに仕事の継続を
 
 
依頼に来たそうです、、、、、その後、、、、、、いろいろな事がありました。。。。
 
 
 
20年くらい継続したインテルニ誌のアートディレクターの席を60歳を迎えた年に
 
 
アーキテクチュラル ダイジェストのクリエイティブ ディレクターへと転向!
 
 
皆の微かな心配を他所に大変活躍しています、’ちょっと忙しすぎるけどね’
 
 
愚痴にもならない口癖をいいながら、黙々と仕事を続けています。
 
 
 
いつもどこにいてもクリストフがどんな事に美しいかと感じているのを知りたくて
 
 
時には、蜘蛛の巣に残った雨露に感動していたり、路傍の露草をじーっと見つめていたり
 
 
やっと辿り着いた京都の八重桜を見て、’これは桜ではない!’と言って走り去ったり、、、、、
 
 
これからもいろんな発見をして驚かせてくれると思います。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
去年静かに去っていった久田修二さんの追悼式
 
 
 
六本木のアクシスビルの地下で有志が集まって開きました、
 
 
エットレの晩年の後ろ姿、エットレは若い久田修二さんにいつも
 
 
’物事の裏に隠れたもっと深い意味を感じて欲しい!
 
 
人は複雑なんだよ、表面の綺麗さに捕われないで! 
 
 
醜い事も目を背ける事実も人にはあるんだよ。。。。。
 
 
でもそれ以上に人害きる事は美しいんだよ’
 
 
 
同じく若かった私にはその頃エットレの熱弁が全く理解出来ませんでした、、、、、
 
 
今もわかっている訳ではないのですが、何故かふとした折に思い出す言葉です。
 
 
 
偉大な建築家やクリエイターは世界に沢山おられますが、エットレのように
 
 
世界中の国から集まったデザイナー達を次世紀にまで続けて生んでいるいる天才は
 
 
少ないかもしれません。。。。。
 
 
 
80歳のソットサスのプライベイトな誕生日にご招待頂いた時、
 
 
一人のインテリジェンスに溢れた初老の方が’僕の仕事はわかりますか?’
 
 
と聴かれて、’僕はエットレの生肉屋です!’ と応えられたフィレンツエのペテナ教授
 
 
まさかここに本当のお肉屋さんがいる訳は無いし、、、、、?
 
 
’エットレの事務所の若い建築家達は僕の大学の学生で生きの良いミートを
 
 
エットレに送り込んでいるんですよ!忘れないでね!’
 
 
は~は~は~~~~~失礼致しました!