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2015.07.25 Saturday

オランダ最古のライデン大学ー植物園


 
 
 
 
 
オランダに少しいた頃、自転車でライデンにやって来ました、
 
 
ライデン大学のある、運河の美しい学生街、とても落ち着いた街です。
 
 
 
同じく運河の美しい小さな街ーフェルメールが一生、他の場所に動かず過ごした
 
 
デルフトもライデンから自転車ですぐの距離です。
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
ユリアナ女王、ベアトリクス女王、皇太子のウイリアムーアレクサンダーもオランダ王室
 
 
オラニエ=ナッサウ家との?がりが強い、オランダ最古−80年戦争のころー1575年創立
 
 
ライデン大学の植物園が圧巻でした!ライデンの小さな街を少し行くと大きな校舎のライデン大学
 
 
自転車を降りて、守衛さんに校舎の見学は可能か伺うと、’是非植物園に行きなさい!
 
 
今はダリアが美しいよ、それから不思議な花々が生育する温室も忘れずにね。自転車は
 
 
鍵をしっかり掛けてここに止めれば良いので、、、、、、’
 
 
 
 

 
 
 
 
 
広い校内をぶらぶら歩いていると温室が見つかってゆっくり足音をさせず
 
 
入って行きました、、、、、、全く人影がなく、オランダには生育しないような
 
 
南国の植物がところ狭しと植えられています。学術名も出生地も一つ一つ記されて
 
 
よく管理されているのを感じました。
 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
北ヨーロッパでは生育しない特殊な植物の一部は、日本にオランダ医学を伝承する目的の
 
 
シーボルト博士がどういう訳か?真相は未だ解明されていない様子ですが、日本追放に成った時に
 
 
多くの種や苗木を持ち帰って研究の為にライデン大学に寄付したと記されていました。
 
 
 

 
 
 
 
 

 
 

 
 
 
温室から少し離れた所に、閑静な日本の庭園と、小さな館がありシーボルトの像がありました、
 
 
日本にオランダ医学を伝えに来て平和にオランダに日本やアジアの植物の種や
 
 
苗木を持参して帰られたと言うくらいの軽い気持ちで検索してみると、
 
 
’文政十一年のスパイ合戦、検証、謎のシーボルト事件’と言うタイトルの記事が出て来て
 
 
1828年、オランダ商館付きの医師であるシーボルトが帰国する直前、
 
 
所持品の中に国外に持ち出す事が禁じられていた日本地図などが見つかり
 
 
其れを送った幕府の書物奉行達が処刑される事件にまで発展したと書かれています。。。。
 
 
一旦は国外追放と成り、再入国を禁じられました、1858年の日蘭修好通称条約
 
 
締結後、追放が解除に成り、1859年幕府の外交顧問と成った、と記されています
 
 
その間にどんな誤解や確執があったのかは?全く想像する事が出来ませんが
 
 
このライデン大学の平和な美しい庭園からは想像もつかない話です、、、、、、、、、
 
 
この世の物とも思えないくらい不思議で美しい植物と、
 
 
シーボルトの不本意だったであろう悲しいストーリー
 
 
世の中には目に見えるものと、目には見えない真実が存在しているのを感じる日々です。