2010.07.07 Wednesday
ジョーン ポーソン
これはミラノサローネの時期のミラノ大学でのジョーン ポーソンのインスタレーションです。
使い古した大理石を粉にして、再生産したエコの素材で、‘石の家’をデザイン。
大学のコートヤードに現れたシンプルな構造の家!
と思いきや、、、、、、、、中に入ると、まばゆいくらいの光の乱舞!!
昼間は、建物の隙間から入る光が角度や時間の経過で表情を変えるのです。
たまたま、エコの大理石を作っている’サルバトーレ’の方にお話を伺ったら、
厚い石の壁、天井の隙間を光が自由に踊れるように、角度を微妙に計算されてカットがなされているそうです。
ミニマリズムの大家、ジョーン ポーソンならではの繊細な心配り。
夜は照明の効果で、新たな世界を展開しています。
コンセプトの中には、‘光の刃物’=‘blades of light'という言葉をつかってありましたが、
昼とは全く違った空間になっていました。
英国人のジョーンポーソン、実は、70年代に日本の神格化されたデザイナー’倉俣史朗’さんのところで、デザインを学ばれたとか、、、、、、
何かの雑誌に、そのころの経験がジョーンポーソンの人生を大きく変化させた!とありました。
倉俣 史朗さんは、エットレソットサスが最も尊敬していて、来日するたびに逢いたがっていた
デザイナーですが、私も何度も、ソットサスと一緒にお話を伺いました。
とても繊細で、透明で、そこにおられるのに光が倉俣さんの体を通過するような~
不思議な方でした。
最近、カーサボーグに、’倉俣史朗’さんの記事を書く事があり、、、、、
奥様の倉俣 美恵子さんにお話を伺ったとき、
ソットサスが、1980年代にメンフィスに、倉俣史朗さんを招待したい旨の手紙を出したら、
倉俣さんが奥様に、’エットレからラブレターが届いたよ!’、、、、、、’でも自信ないよ。’
ッとおっしゃった事を伺いました。
イタリアでは、去年のサローネ時、ボーグの編集長を長くしていた’カーラ ソッツアー二’の
ギャラリーで、メンフィス展があり、偉大な倉俣史朗さんの作品が展示されていました。
よくエットレが、‘忘れてはいけないんだよ!倉俣さんの事を!’と口癖のように言っていました。
今度、日本でもエットレと倉俣史朗さんの展覧会が予定されているとか、、、、、
私にとって二人の共通している偉大な点は、生前自分自身でも勿論多くの素晴らしい作品を残されましたが、その後、二人のスタヂオにいた生徒達の活躍ぶりです。
倉俣史朗さんもエットレもとても沢山の重要なデザイナーを育てられ今世界中で羽ばたいておられます。
天国で二人して喜んでおられる顔が目に浮かびます。