2024.07.27 Saturday
民家が丁寧に保存されている呉市’御手洗’(’みたらい’)
今年10月にイタリアのエットレ ソットサスの奥様が日本に
遊びに来られるので、日本の民家の家並みを見たいと言う難しい
要望に、色々探して、瀬戸内の広島県、呉市の’御手洗’に辿り着きました。
江戸時代、’潮待ち、風町’に適した天然の良港で、広島藩により、
北前船など、大型船が航行して大変急速に発展したようです。
明治以降、航海技術の向上、鉄道網の整備など交通運輸体系の大きな
変化で、お手洗いの港町としての役割も衰退して行ってようです。
昭和初期にかけて建てられた重要な建物が、改修、保存され、
そこに、以前から住んでいた方々の努力で、’重要伝統的建造物群
保存地区’に指定され、役場の努力もあり、よく手入れされています。
このエリアは電柱も道の中に埋められています。(そう言われたら
急にスッキリしているのがわかります)
ここに腰を据えて、民家を事務所や宿、カフェに改修して
村おこしをしている方がおられて、そのお陰で、とても快適な
民家が掘り起こされています。
昔は海路だけだったようですが、今は、広島から高速を通って
車で辿り着く事ができます。このエリアは瀬戸内でも工場地帯が
少なく、海の水も透明度を保っています。
おしょろ船、江戸末期、薩摩藩と長州藩どちらも、この御手洗を
通って京都にたどり着いたとか、綺麗な遊女が集まった船宿’岩本屋’
ここでは、遊女との時間をこんな’おしょろ船’で過ごしたとか。。。
江戸時代、名前も付けられなかった遊女の話を聞きますが、ここでは
とても大切に人権が保護されて、亡くなっても、裏山にお墓が作られたようです。
また、坂本龍馬や大久保利通のような討幕の志史達も訪れています。
旧金子家住宅、中門、路地、茶室、水家、屋敷と、開放されていて
自由に見て歩くことが出来ます。乙女座という劇場は昭和12年に
当時の町長が立案、建設し、戦後は映画館に使われたようです。
畳が敷かれて居心地の良さを感じました。
広島の有名な自転車道、やまなみ街道からもアクセスでき、
ここは特に、’安芸灘とびしま海道’と名付けられています。
正式には、大崎下島にある’御手洗’。江戸時代繁栄し、幕末動乱の
舞台となった御手洗。お茶屋や船宿、町屋の史跡の数々に、当時の
面影が窺えます。
色々日本には美しい場所があり、それぞれに歴史を残して、
綺麗に保存されていますが、御手洗もその一つ、とても
こころに残ります。ソットサスの奥様をお連れする事に決めました。。。。