2025.07.24 Thursday
ジェフリーバワー首都コロンボの自邸no.11

ジェフリーバワのコロンボでの自邸ーno.11
ご本人の寝室は撮影禁止の為、ゲストルームで感激したのが
この窓の設、細かい木の格子の上に繊細な御簾。強い日差しを
調整出来、微妙な光を楽しむ事が出来ます。

ご自宅の至る所に設けられた中庭、勿論屋根が無く、外と同じ
環境で、いつもそこには水があります。光と影を微妙に演出し
静かに時間を過ごされたジェフリーバワの姿が見える様です。

パブリックスペースは撮影が許されて、ジェフリーバワの生存中
15年支えたと言う方が部屋の細々した事を説明して下さいます。
そこには深くジェフリーバワ氏を敬愛していた様子が感じられて
とても感激します。’ここに働かれた頃は大変でしたでしょう?’
と勇気を持って伺ってみたら、’はいそれはそれは!でもジェフリーバワは
大変繊細な優しさで、私達と接して下さいました’と。。。。。

屋上では、いろいろなプロジェクトの為の試作品が並んでいます。
このテーブルトップはテラゾウで、脚は倉俣史郎さんを彷彿させる
実にコンテンポラリーなデザインです。

住居があったエリアはコロンボでも最高に木々が多く、最近では
ジョン ポールソンも別荘として近くに住んでいたとか。。。。
イギリス、オランダが必死に植民地化したかった事がわかります。
勿論、自然資源、産物もあるでしょうが、本気で、好んで住んだ
都市だったのかも知れません。。。。。

ジェフリーバワは、スリランカの成功した弁護士の父とオランダ人の母の元
大変富裕なファミリーに生まれ、イギリスで弁護士の資格を取るも、建築への
思い捨てきれず、40歳代から建築を始めた様です。
それにしては素晴らしい作品を沢山残し、そして驚くのは、そのほぼ全てを
今なお消失させず、ホテルやレストラン等に活用する仕組みを完成した事です。
ほぼ全ての彼の資産は今もファンデーションとして残り、それを活かすための
ホテルや商業施設として、使われている様子です。(税制が違う日本では不可能
なことなのでしょう、、、、、)

日に2度、この自邸を見学できますが、いつも彼が愛情を持って
部屋の隅々まで説明してくれます。長い年月をかけて、少しずつ
広くなっていく様子も図面で教えて下さいます。ダイニングテーブルに
椅子が数客だったので、伺うと、殆ど人を呼ばずに、一人で長く
考える時間を大切にされたこと、招待されるのはいつも決まっていて
ほとんどの人たちが今もジェフリーバワの仕事に関わっているそうです。

彼が乗っていたロールスロイスとベンツがあり、丁寧にメンテナンス
されています。それにしても、日本の偉大な建築家の自邸、事務所が
亡くなられて、半世紀後も生かされて使われて、当時と同じ状態で、
見学出来る施設はあまりない様に感じます。。。。。
精神性を一番大事なコンセプトとして、生きていたジェフリーバワに
心から感激しました。。。。。。