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2026.09.27 Sunday

魔法が始まる時、デザインが始まるーソットサス展

 

 

石橋財団アーティゾン美術館で10月4日まで ’エットレ ソットサス展’

 

が開催されています。石橋寛理事長はアクシスオープン当時から、

 

ソットサスの作品の大変な蒐集家で、1981年のメンフィス誕生の

 

前から注目されていたので、凄いデザインの洞察力です。

 

 

 

 

 

前のブログでも話しましたが、私はアクシスビルのオープン前に

 

石橋寛理事長からエットレ ソットサスを紹介されました。

 

アクシスビルに小さな母の船舶艤装金物のショップをオープンするのに、

 

インテリア小物も一緒に販売しては?との提案で、ミラノ ブルゴヌオーボ通りの

 

ソットサス事務所を訪問しました。メンフィスが始まる前です。

 

 

 

 

コンピューターやオフィース事務機器で世界的に有名なオリベッティ社の

 

デザイン顧問時代にデザインした’バレンタイン’、真紅のタイプライター

 

若いタイピスト達の心掴み、大ヒットしました。

 

 

 

 

 

今日は、キッチンハウスの母体、’TJM デザインの5代目

 

田島宗八社長を、石橋財団のクリエイティブディレクター

 

田畑氏がご案内頂いています。ソットサス展がアーティゾン美術館

 

始まって以来のデザイン展である事や、石橋寛理事長がソットサスの

 

作品を蒐集始められた経緯や、その頃、ブリジストン社のコーポレイト

 

アイデンティを’パオス’の中西氏に依頼された頃の話を交えて伺いました。

 

 

 

 

 

私がノバオーシマを経営していた頃、エットレがどうしても日本で

 

’メタファー’の写真展を美術館で開催して欲しいとの事で、

 

開催したのは30年くらい前になります。 何度かに分けて、最初は

 

スペインの郊外を中心にその頃の恋人と一緒に自然の中で、エットレの

 

心象風景を語っています。次にはインドを含むアジアを舞台に

 

バルバラ との会話も交えながらメッセージは続きます。

 

(余談ですが、エットレには色々な恋物語がありますが、エットレ

90歳の時に、奥さんとして戸籍に入れたのはバルバラです)

 

 

 

 

会場構成は倉俣史郎のスタジオにいた、五十嵐さんが担当。

 

1980年代、事務所が近かったので、倉俣史郎さんから電話があり、

 

’どうしよう?エットレからメンフィスへの参加のラブレターが

 

届いたよ!と、驚きながら嬉しそうな笑顔の倉俣史郎さんを思い出します。

 

 

 

 

倉俣史郎さんが亡くなる7日前もエットレが東京に来日していて、

 

福岡のイル パラッツオの完成間近で、毎日凄い量のお酒を一緒に

 

呑んでおられたのをよく覚えています。その後、マレーシアに一緒に

 

同行して、倉俣史郎氏の亡くなったことを知らされました。。。。。。

 

 

 

 

 

1960年代の大きな本棚。いつも既成概念や、商業的な計算からの

 

フィジビリティーを嫌い、独自の色調と形を探って、、、、、

 

自宅の設計をお願いして、更地になった地面を見て、’ちょっとお茶でも?’と

 

代官山の槇文彦氏設計の’ヒルサイド テラス’に車を停めようとしたら、

 

’この動脈に血液が流れていないビルに入れて、私を殺すつもり’?と大剣幕

 

慌てて、車を走らせて恵比寿の何でもない喫茶店を見つけて、’ここなら’

 

とお許しが出たのを今も鮮明に思い出します。兎に角、世の中にある固定概念の

 

打破に、そして新しいデザインの世界を模索し続けた姿勢が脳裏を掠めます。

 

 

 

 

 

 

1990年代の'エンドレス アドヴェンチュア’時代の家具達。

 

マッシブな無垢な木、金属を組み合わせて、重量を消す

 

アクリの脚でデザイン。上にはエットレとしては珍しい

 

オークナチュラル色の連子格子が乗っています。

 

(田畑さんも話されていましたが、どこかに日本の神社を崇める様な

 

印象を感じることがあります。’源氏物語が大好きで、よく言葉の橋端に

 

源氏物語の表現を含めて話されていました。)

 

 

 

 

 

最晩年のガラス細工です。オランダのギャラリームールマンによる

 

製作で、私も完成品を見たのは初めてでした。’TJMデザインの

 

クオータリー’と言う冊子の為に、エットレをインタビューした時、

 

このガラス細工のスケッチをしていました。(別のブログでまた

 

その様子をご案内させて頂きます、その時は90歳に限りなく近く

 

でもいつもですが、美しいとても若い女性が助手をしていました。)

 

 

 

 

 

 

’メンフィスの機能は存在することだ’

 

エットレの言葉で始まりました。80年代初頭。

 

ミラノのオープニングを覚えていますが、凄い人だかりで、

 

いつも静かなミラノの街に突然起こったムーズメント!

 

AXISビルのオープンにも一階のリビングモティーフに

 

この’カールトン’が展示されていました、

 

この作品は新しく購入された様子です。(ミラノで新たに、

 

メンフィスの家具を製造し販売をはじめている会社があります。)

 

 

 

 

 

メンフィスの初期の頃、エットレはスタッフの誰かの家に行って、

 

ワイン片手にデザインについて、熱く語るのが常でした。

 

ボブディランが好きで、ボブディランの音楽が掛かり、

 

世界各国から集められたデザイナー達(エットレの80歳の誕生日、

 

少人数でのディナーに一人のペテナ教授がおられて、初めての私に

 

’僕はブッチャー(肉屋です)’ と紹介されて何のことかと思ったら、

 

新しいデザイナーをいつもエットレ事務所に送っているとの事でした。

 

そう言えば、南アメリカ、ヨーロッパ各国、アジア、本当に多岐に渡っていました。

 

 

 

 

 

私は人里と離れた場所や山々を訪れて

 

宇宙との身体的な繋がりを再構築したいという

 

強い衝動に駆られた

 

エットレ ソットサス

 

100点以上の白黒写真を残し、今はポンピドーセンターに

 

ネガが保存されています。ミラノのトリエンナーレ美術館では

 

’メタファーの写真’をテーマごとにソットサスの永久保存室で展示されています。

 

 

 

 

 

新しい衝撃とインスプレーションを得た弊社5代目 田島宗八

 

今年3月にキッチンハウスを含むTJMデザインの代表取締役社長に就任。

 

これからの活躍を乞うご期待!